昔むかし、佐見の久田島に、久太郎、藤次郎という、とても仲の良い兄弟があった。
どうしたことか、両親は、兄に冷たくて、弟ばかりかわいがった。兄の久太郎は、自分さえこの家に居なければ、家中が丸く、楽しく暮らせるにちがいないと思い、弟だけに話して、こっそり家出をした。

久太郎は、飛騨に入り雪深い山を転々として「そま」仕事に精を出し、まじめに働いてためた金を親元へ仕送りしていたが、それでも両親の心を和らげることはできなかった。
それのみか、久太郎のよくない噂が、どこからともなく、佐見に伝わってきて、両親の耳に入り、親の心は頑なになっていった。うさわというのは、「久太郎はバクチ打ちになって、和佐や焼石のあたりをうろついている」というのであった。

兄が、家を出てから弟藤次郎は、一日として心の休まる日はなく、心をいためていたが、この噂を聞いてからは、もうじっとしていられず、ついに食事を絶って、神にすがろうと心に決めた。女夫杉の近くを流れる、本洞谷の入り口に、谷としては珍しい深い渕があり、滝のように水が落ち込んでいる。その落口の近くに、三尺四角くらいの平たい石があった。

藤次郎は、その石の上に何も敷物もしかず、すわって一心不乱に、兄の正常を祈り続けた。

その姿は、村人の同情をよんで、幾度と無く思いとどまるように説得しつづけたが、藤次郎はどうしても聞き入れなかった。

藤次郎は、日に日にやつれていった。そして、三・七・二十一日の満願の日が来た。東の空が白々と明け染めるとき、おぼろにかすむ目に、藤次郎は、兄の姿をまもろしに見た。兄の姿は、ヤクザくずれなどでなく、りりしく、日焼けした立派な兄の姿を見ると、藤次郎は、いかにも嬉しそうに、にっこりと笑った。

虫が知らせたか、久方ぶりに佐見に来ていた久太郎は、かけつけて、弟をしっかりと抱きしめた時には、弟は、冷たくなって息を引きとっていた。

やせおとろえた頬に、満足気に残された微笑みは、「これでいいんだ、兄さん、あとを頼みます」と云っているようだった。

藤次郎のまごころは、親の心を本然と立ち戻らせ、久太郎を迎え入れた。

その後、久太郎は、働き者の嫁をもらい、一家は円満に暮らしたという。

いつのまにか、誰云うことなくこの渕は「藤次郎渕」と村人に呼ばれるようになった。

その渕は、その後度々の出水で浅くなり、平たい岩も見当たらず、この兄弟の出家もはっきりしないが、兄思いの藤次郎の物語は人々に語り伝えられている。

「ふるさと白川 創刊号」より

書籍ふるさと白川 創刊号
もくじ
お問い合わせ白川町町民会館
生涯学習係
0574-72-2317
発行白川町中央公民館
(現 白川町町民会館)
編集白川町ふるさと研究会