黒川の中新田(なかしんでん)に県道が、右は苗木橋を渡って蛭川村に通ずる南北街道と、左は奥新田を経て福岡町に至る柏原道に分かれているところがある。
ここから柏原道をまっすぐ800m位登ったところに、割谷という小さな谷が、鱒渕川に流れ込んでいる。この谷を道路から北のほうに700m位登ると、滝の音が聞こえてくる。
周囲は、鬱蒼と生い茂った木立ちで、そこに一つの古めかしい堂宇がある。これが倍来堂といい、傍らに倍来霊神が祀られている。
明治のはじめ頃、一人の修験者が黒川にやってきた。黒川の里を廻っているうちに、不幸にも旅のつかれから病気になって、中新田と奥新田の二つの部落の境近くで倒れてしまった。
村人たちは、気の毒に思って、割谷坂の石橋近くに小屋を建てて、修験者を住まわせた。輪番で握り飯や、味噌、つけものを運んで介抱していた。村人の中にも、もし死なれでもしたら厄介だと心配するものも出てきた。
ところが、ある夜ものすごい雷雨をともなって、集中豪雨があり、付近一帯が大荒れに荒れた。
一夜明けて、里人が心配して小屋に行ってみると小屋は、土砂崩れに押しつぶされて病人の修験者は土砂に頭を突っ込んで、息絶えていた。
村人は皆集まって、死体を掘り返して戸板に乗せて600m程登った滝の傍に丁寧に葬り、小屋は修験者の持ち物とともに火をつけて焼いてしまった。
その後、里人がこの小屋の近くを通ると「おこり」にかかるといって恐れられていたが、村の長者のはからいで、占ってもらうと「この修験者の荷物の中には、とてもあらたかな御りん旨が入っていた。それを小屋とともに焼いてしまったので、おとがめがあるのだ」と占われた。そこで早速供養してもらおうと話し合って、神示によって、倍来霊神として碑を建てて祀った。
頭を土中から掘り出して、供養してくれたので、首から上の病を治してやろうとの神霊のお告げで、目、耳、歯痛などに悩むものは、お茶を備えて祈願すると病気が治ったものがあとをたたなかった。
病気を治してもらったものは、お礼として三尺くらいの幟(のぼり)を作って奉納した。
今でも村人たちは、春の彼岸の中に集まって祭りを行い、七月十五日に滝開きを行っている。平日でも参拝者がたえない。
「ふるさと白川 第2号」より
書籍 | ふるさと白川 第2号 もくじ |
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