隠居山観音(やすらぎの里)については、「名所/旧跡>やすらぎの里 隠居山観音」をご覧ください。

切井のバス停「観音口」から北へ約800mほど登ったところに隠居観音がある。十数mの巨岩がそそり立ち、巨木は、昼尚暗く生い茂っていた。


この岩陰、洞窟の中、岩の上に三十三体の観音様が祀られている。


この観音さまの由来は、文化四年(百七十二年前)切井、石木の大西家の隠居さまで、山田亀助という人が、医者を開業していたが、業を子どもにゆずり、西国の三十三箇所の観音を深く信仰して、三回程も、西国めぐりをしていた。何とかして切井の地に西国の三十三箇所の砂をもらいうけて帰り、西国地に似通ったところを切井にもとめて、砂を納め、石仏の観音様をまつりこんで、順にお参りできるようにした。それで切井の観音さまを「お砂移しの霊場」と呼んでいる。人々の信仰は、益々厚く、石の観音像には、それぞれ礼所順に菩薩をわけ、寄進者の名が彫り込まれている。こうして、文政十二年から二十余年かけて完成した。


大西家の隠居の亀助が、中心となって建てたことから誰言うことなく「隠居山」と呼ぶようになった。


明治初年に苗木藩の「廃仏毀釈」が行われ、すべての仏教に関わるものが取り壊され、捨てられた時、この三十三体の観音の石仏は、信者の手によって、三十三番目の礼所の洞窟深く隠されて、難をのがれた。

その後再び礼所に祀られて、近隣の信仰が厚く、参拝者も絶えなかった。

昭和三十四年の伊勢湾台風の時、隠居山の東半分の老大樹が倒れて、岩はだが現れたが、観音像だけが、元の場所に坐して居られ、西山は、静かな佇まいで、行者の嶮などは、木の懸橋がかかっている。

この隠居山観音は、去る大正十一年、岐阜新聞が選出した県下の十名所の一つに選ばれたこともあり、一日の行楽地に良いところである。

「ふるさと白川 第2号」より

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書籍ふるさと白川 第2号
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