坂ノ東広島部落に安産神社がある、毎年2月の第4日曜日にお祭が行われている。
このお宮のご神体は帝釈天と呼ばれる仏様である。なぜ、仏様がお寺ではなく、お宮のご神体になっているか、また、どうして安産の神様として崇められているのか、以下伝えられている話によれば、
今からおよそ120年あまりも昔の暑い夏の日、油井のずうっと奥の山の中のことである。
おのわは、帝釈天様を胸にしっかりと抱きしめて泣いていた。おなかにいる赤ちゃんを無事に産むためにお願をかけて、今日まで日毎夜毎祈り続けてきたこの帝釈天様を、どうしたらよいのか、おのわは迷った。
3日ほど前のこと、突然、苗木の殿様から「村中の仏様を焼き捨てるか、つぶすかして、領内からお寺をなくしてしまうように。そして、これからは神様だけを信じて、今まで以上に敬い、お参りを欠かさぬように…。」という、お触れが出たとかで、庄屋から村中に達しがあった。
村の人々は、あまりのことにびっくりした。しかし、お殿様のご命令。人々はやがて、あちらこちらで仏像を焼いたり、仏壇を壊したり、石仏を叩き割ったり、金仏を川に沈めたり…と、仏様を村から消す仕事を始めた。
放っておいたら、帝釈天様もやがて叩き割られるか、焼かれて灰にされるかしかない。「できない、どうしても、いいえ、どうあっても、そんなもったいないことはさせられない。このお腹の中の子どものためにも。」
おのわは、そう思うと、ただもう夢中でお堂の中の帝釈天様を胸に抱いて、村はずれまで飛び出してきた。
あたりに人影のないのを見定めると、おのわは帝釈天様をそおっと両手にささげ、ぼろぼろと涙を流しながら、じいっとその尊いお顔をみつめた。
「どうしょう。このままでは家に帰ることもできない。といって、この帝釈天様を捨てることなど、わたしにはとてもできない。ああ、どうしょう。」
きっと、あの優しい夫が心配しているに違いないと思うと、いてもたってもいられない。
「でも、もう私は夫の元へは帰るまい。帝釈天様を捨ててまで帰れない。帝釈天様のお側にいて、生まれてくる赤ちゃんをわたしの手で育てていこう。」
そう心に決めると、おのわは、また帝釈天様を隠すように胸に抱いて、とぼとぼと歩き出した。
おのわの身重の体に、夏の日は厳しい。泣きつかれ、歩きくたびれたおのわは、道端の大杉の根本に木陰を見つけると、そこにへなへなと座り込んでしまった。そして、いつの間にか、ついうとうとと眠ってしまった。と…、
「やよ、おのわ。私は、そなたの信心深い心に感じ入ったぞ。何も心を使うことはない。私を谷川に流すがよい。そして、そなたは夫の待つ家へ戻りやれ。そなたの体、そして生まれてくる赤子は、私がきっと守ってやろうぞ。よいか、おのわ。私をたにがわにお流しやれ。夢々疑ごうでないぞ。」
確かに帝釈天様のお声です。ハッと目が覚めたおのわの胸の中には、帝釈天様のお声がはっきりと焼きついた。
ほんのわずかのまどろみであった。あいかわらずの激しく照りつけている日差しに負けず、やかましく鳴き出すセミの声を耳にしながら、おのわは迷った。
だが、帝釈天様のお声はますますはっきりとおのわの胸に蘇ってくる。おのわは、その声に誘われるように立ち上がり、そこからわずか下に流れる谷川の渕に立った。おのわは、泣く泣く帝釈天様を川に流した。思わず手を合わせると、念仏を唱えて祈りながら、浮きつ沈みつして水にもまれ、谷川に下って行く帝釈天様を見送った。
おのわは、ただひたすらに帝釈天様がご無事に、信心の厚い人に拾い上げられるのを願って、一心に祈り続けた。
やがて気を取り直すと、おのわは、家に帰った。
家では、夫の喜助がおのわを探しまわっていた。おのわの顔を見ると喜助はホッとした。しかし、おのわの腫れぼったい目を見てびっくりし、
「おのわ、どうしたのだ。お前のその腫れて泣き潰れてしまったような目は。一体、何があったのだ。」
と心配そうにおのわの顔をのぞき込んだ。
おのわは、やさしい夫の態度に、どうしても隠しておくことができず、一部始終を打ち明けた。
喜助は、はじめ驚いて、しばらくは口も聞けないくらいだったが、だが、しばらくすると、
「お前はとても良いことをしてくれた。いくらお殿様のご命令とはいれ、私も仏様をつぶしてしまうことはとても忍びないことだと思っていた。帝釈天様は、お前の信心の厚い心に感心なさって、夢のお告げ通り、きっとお前をお守りくださるだろう。」と言った。


「ふるさと白川 第3号」より

書籍ふるさと白川 第3号
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(現 白川町町民会館)
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