場所:白川町切井(龍氣寺付近)

文化4年(1807)、西国三十三ヶ所の観音を深く信仰していた、切井・石木の大西家の隠居山口亀助は、観音巡りをすること3度、その地の砂を持ち帰りました。そして、西国三十三ヶ所に似通った地形をこの山に求め、その砂を納めて石の観音像を安置し、お参りできるようにしたのが隠居山観音の由来です。

立弘法大師

全国にもここにしかない、8才の時の弘法様

昔、切井のる村人が山仕事を終り疲れた足どりで、帰る途中、ごうろす(岩が、ゴロゴロした所)にさしかかると、突然、上の方から岩が、落ちてきて、村人の頭にあたり、その場に倒れてしまった。 気を失った村人の夢枕に弘法大師が現われて、「私を地中から救い出して、祀ってくれるのなら、切井の子供の病気を治し、子供がすくすくと育つように守ってしんぜよう」と、告げられた。 この頃、切井一帯では、1~3才位の幼児に疫病が流行し、次から次へと死んでしまい、なかなか子供が育たなかった。

お大師様の話を聞いた家族や村人は、さっそく山に登り、落石があった近くのごうろすを探し回った。やがて岩山の片腐に埋められていた石仏が見つけだされ、丁寧に土を払うと子供のお姿のお大師さまであった。村人達は、力を合わせて、高台の石の上に運び上げ、ねんごろに祀って念仏をとなえて、参拝して山を下りた。すると、ご利益があったのか子供達の疫病はすっかり影をひそめ、各家で子供が丈夫に育つようになった。

その後、この場所から大師白身の佛意により現在の位置に遷座され、それ以来、このお大師さまのご利益は近隣に広まり、「立弘法」として愛され、多くの人のお願いを聞き続けている。